昔から人々の生活に寄り添ってきた井戸には、不思議な言い伝えやお話なども多く語り継がれています。
皆さんが知っている都市伝説や言い伝え、怪談話などでも、井戸が登場するお話を知っている方は多いのではないでしょうか?

その中でも今回は、神奈川県の鎌倉で古くから言い伝えられている伝説の井戸、「鎌倉十井(かまくらじっせい)」をご紹介いたします。

「鎌倉十井(かまくらじっせい)」の始まり

都心からのアクセスもよい名所旧跡として人気のスポット鎌倉には、「鎌倉十井(かまくらじっせい)」と呼ばれている10個の井戸があります。

この10個の井戸が、「鎌倉十井(かまくらじっせい)」と呼ばれるようになったのは江戸時代のことです。
鎌倉は江戸時代に観光地化され、いくつかの橋や湧き水、そして井戸も観光スポットとして親しまれていました。

鎌倉は海に近く山に囲まれている土地で、美しい自然が眺められる場所が数多くあります。
一方で、水の質に関しては昔はあまり恵まれた土地ではなかったようです。

そのため、鎌倉では良質な水が湧き出ている場所や井戸はとても貴重とされ、さまざまな伝説が言い伝えられていました。

「鎌倉十井(かまくらじっせい)」の言い伝え

鎌倉十井
古くから言い伝えのある「鎌倉十井(かまくらじっせい)」の中でも、特に不思議なエピソードが残っている井戸をいくつかご紹介いたします。

星月ノ井

極楽寺坂の下にある「星月ノ井」は、別名「星月夜ノ井」「星ノ井」とも呼ばれ、これは「井戸の中を覗くと昼間でも輝く星が見えた」ことが由来しています。
しかし、ある日近くに住む女性が井戸の中に包丁を落としてからは、星が見えなくなってしまったと言い伝えられています。

鉄ノ井

鶴岡八幡宮の近くにある「鉄ノ井(くろがねのい)」は、鎌倉時代の火事で新清水寺が焼失したときに鉄の観音像が行方不明になってしまったのち、江戸時代になって井戸の中から観音像の頭の部分が見つかったという言い伝えが名前の由来とされています。

六角ノ井

材木座の近くにある「六角ノ井」は「矢の根ノ井」という呼び名もあります。
平安時代末期の武将、源為頼(みなもとのためとも)が1156年に起こった保元の乱で敗れたあとに大島まで流され、島から天照山に向けて矢を放ったところ、この井戸に矢が落ちて矢じりが残ったという言い伝えが名前の由来とされています。

扇ノ井

扇ヶ谷の個人宅内にある「扇ノ井」という井戸は、源義経(みなもとのよしつね)の恋人として有名な静御前(しずかごぜん)が、日本舞踊で使われる扇をこの井戸の中に納めたという言い伝えがあります。
また、扇のような井戸の形をしていることが名前の由来になったという説もあります。

そのほかにも、井戸の形がお酒を注ぐときに使われる銚子に似ていたことが名前の由来となったとされる「銚子ノ井」や、不老不死の効能がある水だったとされる「甘露の井」など、鎌倉には古くから言い伝えが残る井戸があります。

今回ご紹介した「鎌倉十井(じっせい)」について初めて知ったという方も多いのではないでしょうか?

鎌倉を訪れた際は神社仏閣巡りだけでなく、古くから人々に親しまれている歴史ある井戸を巡ってみるのもよいかもしれませんね。