蛇口をひねるだけで簡単に綺麗で美味しい水が手に入る水道は、今や私たちの暮らしに欠かせないものになっています。
実は、現代社会で欠かせない水道が江戸時代には既に使われていたのをご存知でしょうか?

今回は、江戸時代の水道事情についてご紹介いたします。

江戸の町で活躍していた水道とは?!

まずは、水道が江戸の町でどのように活躍していたのか見ていきましょう。

江戸時代の水道は、現代で使用されている水道の仕組みとは異なり、「自然流下式」という高低差を活かして川のように水を流す方式のものが使われていました。
江戸の町中の地下に木製の水道管が埋められ、その管を通った水が供給される仕組みになっていたそうです。

そのため、地下に埋められた水道管から水を汲み上げる必要があり、「水道井戸」または「水道桝(ます)」と呼ばれる井戸が作られました。
江戸時代の水道のシステムには井戸が必要不可欠だったんですね。

江戸の町では、このようにして人々に水を供給していました。

江戸の町での水道の歴史

江戸の町での水道の歴史
江戸の町での水道の歴史は、1590年に神田川から日本橋方面へと給水する「小石川水道」から始まったとされています。

その後、江戸の発展とともに水道の需要が高まり、「神田上水」や「玉川上水」の二つの上水道が作られて拡張されていきました。
こうして江戸の町中に張り巡らされた水道管の長さの合計は、152kmにもおよんでいたといわれています。

また、水が供給されていた地域は、日本橋、神田、京橋・銀座などの下町の全域と、四谷・赤坂など山手の一部の地域だったそうです。
当時の江戸には100万人にもおよぶ人々が生活していたといわれていますが、そのうちのおよそ6割の人々が水道を利用して暮らすことが可能になりました。

江戸時代も水道料金が発生していた!

江戸時代では、水道を使う場合は現代と同じように料金を支払う必要がありました。
しかし、現在のように水道の使用量を計れるメーターが付いていたわけではありませんので、使用量に応じた支払いを行なうシステムにはなっていませんでした。

当時の水道料金は、武家は「碌高(ろくだか)」という主人から与えられる給与の額、町人は表通りに面した家の入り口の広さによって支払う金額が決められていました。
水の使用量ではなく、収入や保有している資産に応じて水道料金の負担が課せられていたのです。

一方、江戸の庶民の住居として定番の「長屋」に住んでいた人は水道料金を支払う必要がありませんでした。
その代わり、長屋の大家さんが料金を負担するシステムになっていたようです。
水道料金は大家さんにとっても負担が大きく、火事、祭礼と合わせて「地主の三厄」と呼ばれていました。

まとめ

江戸時代に活躍していた水道についてご紹介しました。
現在とは仕組みが異なりますが、この時代から水道が使われていたことに驚いた方もいらっしゃるのではないでしょうか?

水道の歴史についてもっと知りたいと思った方は、博物館などで詳しい資料を見ることができますのでぜひ足を運んでみてくださいね。